睡眠は厄介なものである。もうずいぶん前のことになるが、それに悩まされたことがある。もちろん、眠れなくなったのである。安穏な微睡みがおとずれることなく、低調な覚醒状態がつづくばかりであった。
一日のルーティンに支障をきたすようにも思えたので、友人に紹介してもらって、医者をたずねることにした。「一度ゆっくり眠ってください」、そういって、医者はすぐさま薬をわたした。翌朝、ぐっすり眠れたのは何日ぶりかと、休息できたことの安堵を覚えたが、幾日とも持続しなかった。やがて、べつの不安に苛まれることになったのである。そう、夢を見なくなったのである。それは、不眠に苛まれることよりも、深刻といえば深刻であった。
それにしても、よく夢を見た。眠れないことがまだそれほど深刻ではなかったころ。いろいろな夢を見た。そのなかに、一つのシリーズをなしていたともいえる夢があった。夢であるので、現実と対応しているわけではかならずしもなく、したがって、どのような範疇にそれを括ることができるのか甚だこころもとないことではあるが、それは宇宙創造(コスモゴニー)のシリーズともいえる夢であった。
……深い海溝とてなく、高い山とてなく、陸地が見え隠れする一面の大海原を、海水が一定方向に勢いよく流れていった。見晴るかす一筋の亀裂が大地に刻まれ、左右から海水が轟音とともに雪崩れ落ちていった。また、合わせ鏡のなかにいるように、あるいは、迷路のなかにいるように、どれが本物でどれが偽物か、どこが起点でどこが終点か、基準を保てるものがなく、身体が縺れてしまいそうな不思議な空間に陥った……
そうした夢を見た朝は、目覚めがわるいというのではなく、反対に、なにか自足した気分になったようであったが、それ以上、掘りさげたり、それを対象として考察をくわえようなどとは思わなかった。しかし、ある日、ある種の感動を自分の手にもてあますこともあったのか、そのころまだ元気だった妻にいくつかの夢のことを話した。ユングなどの心理学を囓っていた彼女は、「凄い」となんどもみずからに納得するようにうなずいた。「こんな夢はだれでも見るのではないのか」と切り返すと、「いや」と強く否定し、「書き留めておくように」と言い放った。「あっ、そうか、そうなのかもしれない」と思い、試みたが、いつも三日坊主だった。
後日、一群の夢はこのようなものであったのではなかったかと、水彩絵具や色鉛筆で後追いしたこともあったが、絵の下手さ加減はおくとしても、自我の意識がたぶんに混在してしまっているのではないかと思う。
話を戻そう。夢を見なくなって、はたと困った。
夢をとるか支障のない日常をとるかの選択であった。どちらも完全に捨てることはできない(とくに、夢を奪われることは、ものを考えることを仕事としている身としては、致命的なことのように思われた)。のこされた道はただ一つ。朝早く起きなければならないオブリゲーションのあるときは服用する、それ以外は控える。いまも基本的にはその方針である。ただ、定年退職してから、服用の機会がめっきり減ったことはいうまでもない。とりもなおさず、夢の世界がまた戻ってきたのである。
夢とはなにか。
フロイトにとって、夢は、抑圧された(性的)願望が、「検閲」をくぐりぬけ、少なからず歪曲されたかたちで、睡眠中に、顕在化したものであった。
ユングにとって、夢は、ある程度の統合性をもった自我にたいして、補足的(補償的)にはたらき、より平衡的で包括的な「心の全体性」を志向する機縁となるものであった。
フロイトやユングの人口に膾炙された学説はさておき、夢は、わたしにとって、原野ともいえるものである。いってみれば、夢は、起床し、思索(思考)をはじめるまでのウォーミングアップの領野をなしている。思考の〈型〉がすでに夢のなかに折りこまれているといってもいい。
〈型〉と、とりあえず、いったが、前回の「ぼそりつぶやき」の言葉でいえば、〈彩〉である。「あやめもしらぬ恋もするかな」の〈彩〉である。思考の〈彩〉がすでに夢のなかに折りこまれている。
……曖昧模糊としたなか、固定的などのようなものもなく、既定のどのようなシナリオもなく、すべては未決のままに、なにかが象られ、なにかが像をむすび、それも、ときにうっとりするほどの完璧な像をむすび、しかし、それも束の間、昇華された結晶体はふたたび曖昧模糊としたなかに消えていく。物語めいた轍ばかりをのこして。そのさなか、のっぴきならない激情に襲われ、至福にも浸り、恐怖にも戦かされる……
いったい、夢であるこの一連の現象はなにか。纏まっているようで、多方向に破綻している。しかし、無秩序でもカオスでもけっしてない。そこにも、理法がある。そうかといって、もっぱら抽象的な論理ではない。もとより論理では割りきれない。ただ、まちがいなく、そこにも、理法がある。それを〈彩〉というのである。
朝、起床し、思索(思考)をはじめる。すっかり夢から覚めて、べつの思考をはじめるのではない。むしろ、ウォーミングアップの延長として思考をはじめる。
あれやこれやと言葉をたどり、考え、悩み、一つの言葉を思いついては、また消していく。一つの思考の呼吸の区切りとして、句読点を打っては、また消し、また打ち直す。そのような繰り返しは、夢における思考の胎動と同質のものであろう。夢から断絶した、名ばかりの覚醒の思考は、きっと、危ういものにちがいない。
だから、わたしにとって、夢はなくてはならないものである。薬をつかっていたときは夢を見なかった。夢を見ないまま、現実の思考は味気ない白々しいものであったであろう(味気ない白々しいものにしだいになっていったであろう)。夢のない、睡眠か覚醒かの二元論は、畢竟、思考を単調にしてしまう。
それにしても、梅原猛の恩師、山内得立の最晩年の著作に『随眠の哲学』(岩波書店、1993)がある。「随眠」とは煩悩のことであるらしいが、晩年、レンマ学を打ち立てた山内は、睡眠(夢)のなかに、あらたな思考の糸口を見出そうとしていたのかもしれない。