第一話 モチ

 棚のうえにおかれていた。薄暗い屋内に、光をはなつがごとく、息をのむほどに美しかった。

 前日、それは、ぬばたまの夜の闇のなかで、変容した。はじめは、堅い粒だった。堅い粒の集合体だった。堅い粒がやわらかいつぶに変容した。やわらかいつぶの集まりに。変容には階梯があった。つぎに、やわらかいつぶの集まりがひとつの丸いかたちに変容した。ひとつの大きなまんまるに。
 外見ばかりではなかった。変容にあわせて、名前も変えた。コメからモチに。人は、年のはじめに、コメではなく変容したモチをたべた。
 

 前日の作業はべつの小屋でなされた。その決められた小屋は普段はだれも立ちいることができなかった。鍵が開けられるのは年に一度。作業でつかう道具もそこに仕舞われていた。
 

 男たちが小屋に集まる。
 隅には土のカマドがしつらえられている。カマドのうえにはタライが。タライのなかにはイズミから汲まれてきた水が。
 コメの堅い粒がしきつめられたセイロがカマドのタライのうえに垂直に重ねられる。カマドの真上の天井から正方形に枠づけられたカサが水平に吊りさげられている。カサの四辺はシメが張りめぐらされ、そのところどころに、シンメトリーを配慮するようにして、切り紙のヘイがぶらさげられている。

 土のカマドに火がはいる。カマドのなかはあかあかと燃え、タライの水がぶくぶくと沸きたつ。湯気がもうもうと立ちのぼり、重ねられた幾重ものセイロをとおりぬけ、天井のカサをゆらゆらと揺らす。土と水と火と空気、元素が乱舞し、元素と元素が交感するこの動態にありながら、時間は不思議と止まっている。
 揺れるカサのした、堅い粒はやわらかいつぶにおもむろに変容するのだった。
 

 間があって、第二の変容がつづく。
 やわらかいつぶに変容したコメは、小屋の中央付近に三角形をなすように配置された三基のウスのなかに均等にほうりいれられている。
 一基のウスを二人の男が囲う。一人は立っている。一人はしゃがんでいる。立っている男はキネを手にしている。三角形の他の頂点でもまったくおなじ配置である。
 のこりの十数人の男たちは大きく一つの円をえがくように三基のウスと六人の男を囲う。小屋はけっして広くはなく、男たちの背中から壁面までの距離はいくばくもない。

 大きな円の男たちの掛け声ではじまった。
 男がキネをふりあげる。ふりあげた頂点でためをつくり、全身の力の方向をいれかえ、こんどはウスのなかのコメをめがけて一直線にふりおろす。またふりあげる。ふりあげられるやいなや、しゃがんだ男がウスのなかに手をいれる。くずれたコメをととのえ、さっと手をひく。手がひかれるやいなや、またふりおろす。また手をいれる。立った男のキネとしゃがんだ男の手がウスのなかを出たり入ったりする。手とキネが入ったり出たりする。
 キネと手によるウスのなかの交互運動は他のウスにおいてもまったく同様であった。三角形の三つの頂点での三つの交互運動はたがいがたがいを鏡に映しだすようにして相似形を周縁にくりひろげていった。

 大きな円の全方位からの掛け声が高まる波となってなかへとどっと押しよせる。波をあび、男たちの肉体はいっそう躍動する。キネを手にする男の腕に力がみなぎり、腰は大きく振れる。しゃがむ男の手はリズム楽器を叩くがごとくテンポをあげる。
 律動する肉体の渦のなか、やわらかいつぶの集まりは可塑性のひとかたまりに変容するのだった。
 しかし、まだモチではなかった。いわばモチの胎児だった。

 第二の変容には、仕上げの段階があった。
 ウスのなかの可塑性のかたまりは床に敷かれた板のうえにともに流しこまれる。まだ境界というものをもたないのか、三つのかたまりはすぐさまひとつにまとまろうとする、が同時に、周囲に溢れでようともする。男たちは両の掌でまわりからおさえこむ。
 ウスを離れたかたまりは徐々にではあるが不可逆的に堅くなっていく。堅くなりきらないうちの懸命な作業はつづく。
 見計られたタイミング、一抱えもある円形のワクがうえからかぶせられる。いまだじゅうぶんに可塑的なかたまりはワクいっぱいにひろがりだす。まもなく、丸みをおびたかたちは平たい円柱形へと収まっていく。ゆるやかな起伏をなしていた表面も平面へと均されていく。純白で清浄なそのさまは、平面というよりも鏡面というにふさわしい。つぎの日の夕刻、薄暗いヤシロの屋内におかれたとき、それはカガミモチと呼ばれるであろう。

 第二の変容には、さらに仕上げの段階があった。
 夜も更け、黙せる闇の冷気のなか、いまだぬくもりをもったモチは小屋からムラの代表のトウヤの家へとしずしずとはこばれる。
 トウヤの家へ着くや、ザシキの片隅にすえおかれる。そして、ビョウブで囲われる。人目に触れてはならなかったのである。
 オカクレなのか、夜明けとともに再生するためのイミゴモリなのか。とにもかくにも一夜を寝ることによってなにほどかのチカラが付与されるのであろう、モチは最後の変容をとげるのであった。

 こうして、翌日、モチは誕生した。ただ、モチの新生児はムラの人々の祝福をまだうけていない。
 

 夕刻、いよいよヤシロへとはこばれる。
 四囲をチョウチンでかざられたミコシにのせられ、モチはトウヤの家を出る。ヤシロに着くと、屋内の棚のうえにおかれる。

 モチは、光をはなつがごとく、息をのむほどに美しかった。

 いったい、カガミモチとの名をもち、カガミでもあるモチはなにを見ているのか。なにを映しだしているのか。
 表面の純白で清浄なありさまから、また円満なありさまから、世界のすべてを見ている、すべてを映しだしていると思わずいってみたくなる。人がモチを見ているというのではない。まだしもモチが人を見ている、人はモチによって見られているといったほうがふさわしい。
 とまれ、薄暗い屋内、モチは光彩をはなち、視覚の常態は攪乱され、たんに見るでは対処しきれない異世界のなにものかがまぎれこんでいる。そして、その艶やかなモチハダはもちろん比類なく妖しくもあった。

 モチはヤシロのカミにそなえるという。しかし、モチの異彩はカミの影をいよいよ薄くしてしまうであろう。そのとき、モチこそがカミであった。
 夜更けおそくまで、オマイリのムラビトがたえない。ヤシロのカミに参拝に来るのか、カミであるモチを拝みに来るのか。二重のカミに礼拝に来るのか。
 

 翌日の夕刻、モチはふたたびトウヤの家へとはこばれる。
 ほどなく、ホウチョウで切り分けられる。ムラの各家で、モチが口にされるのは、もうそれほど時間をまたない。

 人は、年のはじめに、コメではなく変容したモチをたべるのであった。