梅原記念財団は、学問や芸術をとおして、社会に貢献をする一般財団法人として、平成２６年、京都に設立されました。

　財団の「生みの親」ともいうべき哲学者の梅原猛は、令和の時代を見ることなく、平成31年1月12日、あの世へと旅立ちました。梅原記念財団は、学問や芸術を愛した故人の遺志を偲びつつ、いろいろなかたちで、活動をしていきたいと考えています。

（哲学的精神）

　東山の麓を京都で唯一南から北へと流れる川に疏水があります。疏水は人工的に造られた文明開化の香りのする川ですが、その疏水に沿って「哲学の道」が敷設されています。
　ドイツは大学の街、ハイデルベルクにある「哲学者の道」にちなんでそのように命名されたそうですが、一般的には、ある哲学者が散歩をした道として知られています。その哲学者を追慕する記念碑が「哲学の道」の中途にあります。記念碑にはこう彫られています。「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり」。哲学者とは、いうまでもありません、西田幾多郎です。

　梅原猛は、哲学者の西田幾多郎に憧れて、昭和20年、戦争の真っ只中、京都大学文学部哲学科の門をくぐりました。しかし、入学式を終え、愛知県は知多半島の青い海の町、故郷の内海に帰ると、赤紙が届いていました。戦争が終わり、復学し、梅原猛は、以降、京都の地で、哲学を一生の仕事とすることになります。

　哲学（philosophy）とは何でしょうか。ギリシア語の語源からすると、知を愛するということです。ですから、明治時代に学問として移入されたときに、訳語として、「愛知学（愛智学）」と訳されてもよかったかもしれません。しかし、周知のように、西周による「哲学」という訳語が、やがて、定着することになります。
　哲学とは、ソクラテス以来、知を愛し、ものごとを徹底的に考えるということです。「あるとはどういうことか」「なにを知ることができるのか」「なにをなすべきか」など、あれやこれやと、徹頭徹尾、考えることです。その意味で、どのような学問も哲学です。というのも、ものごとを根底から考えようとする以上、どの学問もその根っこには哲学が要請されてしかるべきだからです。哲学が「万学の母」といわれてきたことももっともなことです。

　梅原記念財団は、知を愛する財団として、いまここにあります。



（京都と学問）

　三方を山で囲まれ、四季折々の風光に彩られ、寺社仏閣が立ち並ぶ、古都、京都は世界でも有数の観光地です。インバウンドの観光客は後をたちません。

　京都は、中国の条里制を模して造られた、その意味で、人工的な都市ですが、家の庭に、小鳥が舞いこみ、一歩、山に踏みいると、野生の狐や狸や鹿や猪にも遭遇する、自然が間近にある都市でもあります。いってみれば、天秤ではかられたかのように、自然と人工とが絶妙に調和した都市です。

　また、すぐれた宗教都市でもあります。眺望をすれば、大きな寺院の屋根瓦が見え、狭い路地を曲がれば、小さなお寺の土塀が目にはいります。市井には、中小の社が鎮座し、小さな祠にいたっては数えるのもままならず、いろいろな神霊が祀られています。朝に晩に、仏壇や神棚にお供えをし、礼拝をする家も少なくはありません。見えるものばかりではなく、京都の街は、見えない神や仏や死者で溢れているといってもけっしてまちがった表現ではありません。
　特筆すべきは、東山三十六峰です。比叡山延暦寺を起点とし、連なる山々の麓には、おなじ仏教を名のりながらも、宗派を異にする、あまたの寺院が甍を並べています。銀閣寺、法然院、永観堂、南禅寺、知恩院、清水寺、泉涌寺、東福寺などの寺院です。住み慣れた者には、特段、目を見はる光景ではないかもしれませんが、地球の地理からいうと、希有なというのか、特異な光景といわなければなりません。どのように表現すればいいのか、「大乗仏教の黄金の大河」とでもいうのか、インドや中国でほとばしりでた大乗仏教の流れは、それらの地では水が枯れつつも、ユーラシア大陸の東端の島国で、川幅ひろく、どのような支流も融け合わさり、「大河」となって流れているとでもいえばいいのでしょうか。

　この都市に、文化は花咲きました。百花繚乱。あまたの歌人や文人が、この地で生まれました。あまたの俳人や芸能者や宗教者が、この地を往来しました。往時のさまは、歴史的な建築物や美術品として、また、無形の芸能形態として、また、文学的なテキストとして、今日にいたるまで伝えられ、いま、この地で、それらを追慕することができます。
　千年の都、京都は、鋭敏な批評精神をはぐくんだ都市でもあります。「文学でいうと、創作者よりも、多くの批評家を生んだ」と梅原猛はいっていました。京都の住人は、行き交う、時々の権力者、宗教家、文化人、商人を観察してきました。まさしく、時代のウォッチャーです。ただ、京都人は、流行には機敏ですが、同化してしまうことはありません。その意味で、先端と伝統とが、保守と革新とか、絶妙に融け合わさった、すぐれて洗練された都市ということができます。

　そして、京都大学の前身、京都帝国大学は、明治３０年、設立されました。以来、数多くの学者や研究者を輩出してきたことはいうまでもありません。「京都学派」とか、「新京都学派」とか、スクール（学派）でもって、一括りにされることもあります。

　さきに、京都という都市について、自然と人工、先端と伝統、保守と革新、両端のどちらか一方に偏ることなく、それらの絶妙なバランスのうちにあるのではないかと述べました。ここで、もう一組の両端をあげたいと思います。知と情です。京都の学問は、いい塩梅に、知と情が融け合っている、そういいたいのです。
　ただし、念頭にあるのは、西田幾多郎、今西錦司、岡潔などです。哲学者の西田は、「知識と情意との一致」を主張しました。生物学者の今西は、生物を見る（観る）さいの基準として、「相似と相違」を挙げました。いわば、「類縁」の思考です。「擬人法」や「共感」にも繋がります。数学者の岡は、学問においても芸術においても、根底にあるのは「情緒」であると断言しました。
　また、しばしば話題にされることですが、京都の研究者仲間での最大の褒め言葉は「おもろい（おもしろい）」であるといわれます。すくなくとも、一昔前まで、大学の研究室において、「おもろい」は死語ではありませんでした。
　ですから、情報量を競うだけの学問や、お誂えの概念で分析しただけの学問は、当然、一級の学問ではありませんでした。学問とは、知はもとより、どこか情にも響いてくる、いわば、からだに身についた「芸」としての学問、そのようなものだったと思います。
　その意味で、大学の周辺には、そして、京都の街には、あまたの「芸人」たちが闊歩していました。言葉からだけではなく、「芸人」のかっこいいすがたかたちからも、学生のみならず、京都の住民までもが、おおいに、学びました。まさに、学問の都であったのです。

知と情のバランスは、人工と自然、先端と伝統、保守と革新、それらのバランスと無縁ではありません。というのも、坩堝のような京都盆地、そこに賦活されているのは、白と黒とを区分し、両端の一方に就き、他方を排斥する、そのような「論理」ではないと思われるからです。
　梅原猛の師匠、山内得立は、傘寿をすぎてから、『ロゴスとレンマ』という本を出版しました。そのなかで、「レンマ的な理法」をするどく提起しました。ここで詳述することはできませんが、それは、「Ａでもなく、非Ａでもない」、そして、「Ａでもあり、非Ａでもある」という、もの（こと）のありようを容認する理法です。すぐさま、「論理に反している」「馬鹿げている」などという苦言が四方八方から飛んでくるかもしれません。しかし、それは、あまりにも、アリストテレス以来の形式論理学（同一律、矛盾律、排中律）に慣れ親しんでしまっているからではないでしょうか。もの（こと）は白黒ではありません。正義か悪かの二者択一ではありません。

　「レンマ的な理法」の開く地平の全容は、ほんとうのところ、よくわかりません。
　梅原記念財団は、「レンマ的な理法」の射程を見やりながら、活動をしていきたいと考えています。



（梅原記念財団の三本の柱）

　梅原記念財団は、おもな活動として、つぎの三本の柱を立てます。
　ひとつは、「梅原猛フォーラム」の開催です。毎年一回、一般公開の講演会（＋シンポジウム）を開催します。
　つぎに、「梅原猛人類哲学賞」の開設です。複数の審査員による厳正な議論のうえ、学問と芸術の広範な分野から、毎年一人に授与されます。
　そして、「哲学ハウス若王子（妙喜山荘）」での、（小規模の）講演会・勉強会・展示会などの催しです。


梅原記念財団の拠点となる建物の庭には、小さな池があります。梅雨の季節、池の縁にしなだれる楓の枝葉にモリアオガエルが卵を産んでいました。しばらくたって、池をのぞきますと、オタマジャクシがウジョウジョと泳いでしていました。また、あるとき、池の端を通りかかると、シマヘビがガシャガシャと草陰にかくれていきました。また、あるとき、建物のガラスの扉をガラガラと開けると、サギが池から大空にむけてスゥッと一直線に飛翔していきました。
　太陽が射し、庭の雑草はキラキラと光っていました。風がそよぎ、木々はサワサワと揺れていました。

そのとき、ここは、「浄土」と思いました。そして、拠点となるこの建物に日ごろからふさわしい名前をと思っていたのですが、光に照らし出されるように、妙案が浮かびました。
　ここは、「浄土」といっても、京都盆地の東方にありますので、「東方浄土」です。すんなりと、東方阿閦如来の浄土にちなんで、「妙喜山荘」と名づけました。


梅原記念財団　代表理事　梅原賢一郎